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JCAS賞2022年審査結果

 第12回(2022年度)地域研究コンソーシアム賞(JCAS賞)の授賞対象作品ならびに授賞対象活動について下記の通り、審査結果を発表します。

 地域研究コンソーシアム賞の研究作品賞は、地域や国境、そして学問領域などの既存の枠を越える研究成果を対象とするもので、作品の完成度を評価基準としています。登竜賞も研究作品賞と同様の趣旨ですが、研究経歴の比較的短い方を対象としていますので、作品の完成度に加えて斬新な指向性や豊かなアイディアを重視して評価しました。研究企画賞は共同研究企画の活動実績、また社会連携賞は、狭義の学術研究の枠を越えた社会との連携活動実績を対象としています。
 審査については、運営委員会が担う一次審査によって審査対象作品および活動を絞り込み、専門委員から、一次審査で絞り込んだ作品あるいは活動に対する評価を書面で回答していただきました。今年度の専門委員は、研究作品賞については遠藤貢氏、川島真氏、清水麗氏、白石壮一郎氏、妹尾哲志氏、森井裕一氏、登竜賞については川喜田敦子氏、栗本英世氏、武内進一氏、研究企画賞・社会連携賞については家田修氏、竹中千春氏、田中浩司氏にお願いしました。そして、一次審査の結果および専門委員の評価を踏まえて、地域研究コンソーシアム賞審査委員会(理事会)において最終審査をしました。この場を借りて、審査に関わってくださったみなさま、とりわけ専門委員諸氏に感謝申し上げます。
 今回の募集に対して、研究作品賞候補作品12件、登竜賞候補作品7件、研究企画賞候補活動8件、社会連携賞候補活動5件の推薦があり、一次審査によって絞り込まれ専門委員による評価の対象となった作品および活動は、研究作品賞3件、登竜賞3件、研究企画賞3件、社会連携賞2件でした。
 多くのすぐれた作品・活動の推挙を感謝申し上げますとともに、受賞された皆様には、委員会を代表して心からお祝いを申し上げます。


【研究作品賞】
五十嵐 隆幸『大陸反攻と台湾-中華民国による統一の構想と挫折-』(名古屋大学出版会、2021年9月)

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 現段階の台湾研究、文献実証による台湾政治史研究の到達点を示した一書である。タイトルに記されたように、本書は中華民国の大陸反攻政策、すなわち統一政策について、その構想と挫折の両面から考察したものである。その実証は周到で、蔣介石日記、新たに公開された蔣経国日記をはじめ、国民党、中華民国政府のアーカイブが用いられ、ファクトファインディングの面でも「宝庫」のよう叙述になっている。
 中華民国の大陸反攻は未完のプロジェクトであった。その実現しなかった事象を扱うことにどのような意味があるのか。それは、その大陸反攻が「虚」なのではなく、「実」であり、台湾の国家建設や中華民国国軍建設の基礎理念であったからだ。本書が描き出したのはまさにこの点である。その評価すべき点は以下の数点に求められる。
 第一に、中華民国が台湾に遷ってからの政策理念の根幹にある大陸反攻政策を、その国内政策と共に対米政策など外交面からも描き出したことだろう。これまで事例研究はなされていたものの、その全体像を実証のレベルを上げて描き出した点は高く評価できる。第二に、大陸反攻が現実性を失う中で、中華民国が大陸反攻というスローガンの下で台湾防衛を実質化していき、自らの生存を図ったことを明らかにした点である。特に、1970年代の対米、対日関係の変化の中で、台湾防衛の実質をいかに築いていったのかが国際関係も踏まえて描き出されたことが本書の特徴だろう。スローガンを「形だけ」のものと見ずに、その背後にある実質的な側面に目を向けた点は高く評価できる。第三に、1980年代の台湾政治を民主化、台湾化のみから描き出さず、統一問題や安全保障の面から描き出したこともオリジナリティを高めている。
 これらの分析は、現段階で使用可能な台湾、米国の資料を最大限に用い、さらに国防部の档案と関係者へのインタビュー、日本ではまだほとんど使われていないスタンフォード大学フーバー研究所で公開された『蒋経国日記』を活用し、台湾研究の新たな地平を拓いた。 したがって、現時点の台湾研究として、優れたレベルの、挑戦的で重要な問題提起がなされた労作である。一方、若干ながら今後検証が待たれる点もあり、日記や会議での発言記録等、揺れ動く「記述」をどの文脈でどう読み解くかなどの課題もあり、小さな「なぜ」が残されてもいる。それら分析のさらなる精緻化の課題はあるとはいえ、本書のような実証的な研究成果が大いに評価され、台湾の政府のもつ思考や行動パターンと制約をも踏まえた台湾海峡情勢への理解が深まることが、切に期待される。
 以上の点から、本書は地域研究コンソーシアム研究作品賞に値する。

【研究作品賞】
梅屋 潔The Gospel Sounds like the Witch’s Spell: Dealing with Misfortune among the Jopadhola of Eastern Uganda , (Bamenda: Langaa, 2022)

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 全3部から構成され、15頁の巻末索引をふくむ724頁の大部である本書は、臨地研究によって得られた膨大かつ精密な1次資料を積み上げ、社会人類学的アプローチからなされた地域研究の優れた成果である。対象となる地域はウガンダ共和国東部のトロロ県。グワラグワラ村に暮らす民族集団アドラ(ジョパドラ)人の不幸・災いをめぐる語りの記述と分析が本書全体の目的である。
 本書が扱う妖術・邪術は、社会人類学の重要テーマのひとつであり、本書の英語による出版は、高精度の民族誌資料として第一級の価値づけがなされることはまちがいない。本書の叙述は、いっけん古典的民族誌を思わせる素朴かつ実直なもので、災いや死をともなう出来事についての現地の人々の語り(テキスト)の採録に著者がコメンタリを付すというものである。本書は読者共同体(社会人類学・地域研究の専門家)だけでなく、現地のソースコミュニティにも通用する対話的資料価値を第一義においている。社会人類学の方法論にかんする近年の議論を踏まえ、ここまで方法・手続き・ビジョンが徹底された民族誌は類をみない。
 また、本書の地域研究としての価値も確かなものである。アフリカにおける民族誌、あるいは文化人類学研究、さらには社会科学研究における一つの重要なテーマとなってきた新自由主義の時代における呪術の復活、あるいは呪術の近代性に関わる研究の系譜に注視している。国家政治という不可思議な力と関係して生きた故人の異例の出世ぶりや死を、tipo(霊)や呪詛などの観念を用いる人々の語りから論じている。このことにより、本書はたんなる地域史の再構成とはまったくことなるやり方で、地域に経験された歴史上の出来事の人々による(再)解釈の世界に接近した。内容からしても、叙述としても、国内外のアフリカ地域研究・社会人類学などの学界、そしてウガンダ共和国の現地社会に対してもインパクトをもちうる書物である。
 以上の点から、本書は地域研究コンソーシアム研究作品賞にきわめてふさわしく、とくに秀でたものである。

【登竜賞】
岡野 英之『西アフリカ・エボラ危機 2013-2016 最貧国シエラレオネの経験』(単著、ナカニシヤ出版、2022年2月)

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 本書のテーマは、2013年末に勃発し、2016年まで断続的に継続した、西アフリカ3か国(ギニア、シエラレオネ、リベリア)における「エボラ危機」である。この地域では、ウイルス感染を原因とするエボラ出血熱に2万人以上が感染し、1万人以上が死亡した。この致死率のきわめて高い感染症の封じ込めと治療は、国際的におきな関心事となった。本書は、著者が2016年に実施したフィールドワークの成果と、広範な文献研究の成果に基づいている。フィールドワークの期間は約1か月と短いが、著者は内戦の調査研究のためこの地域に長期滞在した経験があるので、土地勘があり、それがフィールドワーク期間の短さを補っている。各章の意図は明確であり、文章も平易、明晰である。全体として、「エボラ危機」をめぐるローカル、ナショナル、グローバルな「リアリティ」がよく理解できる内容になっている。また、国際社会の動きと現地の思考・制度が接する地点の様相を描き出そうとする。シエラレオネに軸足を置き、グローバルイシューを地域研究の視点とつなぎあわせて論じようとする点は興味深い。現地調査を通じて難しいテーマに取り組んだことは、地域研究の成果として評価できるし、コロナ禍のなかで本書の指摘から学びうる教訓も多く、時宜を得た良書といえる。また、感染症、国際保健医療やグローバル・ヘルスの専門家にとっても読むに値する学問的業績である。ただし、研究書として見ると記述と分析に甘さが残るし、一般向けの記述が多い。しかし、本書のテーマや時事性から、優れた地域研究であると評価できる。
 以上の点から、本書は地域研究コンソーシアム登竜賞に値する。


【登竜賞】
程 永超『華夷変態の東アジア:近世日本・朝鮮・中国三国関係史の研究』(単著、清文堂出版、2021年10月)

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 本書は、朝鮮から日本への通信使の派遣にみられる中国の影響、対馬藩を通じた日本・朝鮮・中国の三国の関係に着目することで、近世の日朝関係の背後に存在した中国の重要性を強調する。従来別々に研究される傾向にあった日中・日朝近世史を、丁寧な史料分析に基づき、三カ国の関係史として再構築している。これまでの日朝関係史研究において僅かな位置を占めるに過ぎなかった中国を重要素として取り入れ、近世初期の日朝交渉を広く日本・朝鮮・中国三国の連環のなかで近世東アジア史をひとつのつながりとして検討する意欲作であり、国家や地域を横断して新たな知の営みを志向するJCASの方向性とも合致している。先行研究も丁寧に整理されており、これまでの蓄積の何が問題で、そこに中国という要素が加わることで、それがどう解消されるのかが明快に示されている。
 もちろん課題もないわけではない。冒頭で本書の目的が明確には論じられてはおらず、また膨大な関連先行研究と本研究の相違点、および学術的な新規性についての議論が十分にはなされていないため、読者がその全体像を把握しにくいというところはある。ただその点を勘案しても、本書は近世の日朝関係において中国(明・清)の存在が無視できないものであったことを明らかにして 近世の日本・朝鮮・中国の三国が絡み合う歴史像を浮かび上がらせることに成功している。とりわけ日朝関係における対馬藩の役割(中国情報収集活動など)に焦点を当てることで、三国が絡み合う歴史像を浮かび上がらせたことが高く評価できよう。
 以上の点から、本書は地域研究コンソーシアム登竜賞に値する。


【研究企画賞】
酒井 啓子「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて:関係性中心の融合型人文社会科学の確立」 (シリーズ「グローバル関係学」全7巻 (岩波書店))

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 本プロジェクトは、科学研究費新学術領域研究「グローバル関係学」として「関係性中心視座」を提起し、地域研究者を含め40名ほどを集め、「グローバル関係学とは何か』『「境界」に現れる危機』『多元化する地域連合』『移民現象の新展開』『「みえない関係性」をみせる』『ローカルと世界を結ぶ』(全7巻)を刊行し、多様な視角と地域を扱う研究を土台にする点が高く評価される。ミクロなコミュニティからマクロな国民国家あるいは国家連合に至る個々の主体としての「単位」を共通のイシューによって串刺しに比較する、いわゆる地域間比較研究と呼ばれた手法や視点が地域研究において盛んになった。本シリーズは、その流れを汲むものの、それを超えて、主体のない関係そのものに焦点を当てた「グローバル関係学」という新たなコンセプトとそのアプローチの応用例を示している。本書によって、個別の主体の比較研究ではなく、人、組織、象徴、環境、ものごとの関係が交錯する「地域」として捉えなおすことによって「みえていないものをみる」地域研究の強みをさらに強化しようとする試みを示してくれたと言えよう。また埋め込まれた関係性の核に通常の研究対象になりにくい「感情」の役割を置く独自の研究領域を開拓したことは既存の国際関係論を超えて、地域研究の研究にも大きなインパクトをもたらした。そのための重要な切り口を構想し、その切り口にふさわしい適切な研究者を布陣して研究活動を企画・運営したことも賞賛に値する。
   以上の点から、本プロジェクトは研究企画賞にふさわしい活動であると評価する。


【社会連携賞】
鈴木 玲治『焼畑が地域を豊かにする 火入れからはじめる地域づくり 』(共編著(鈴木玲治・大石高典・増田和也・辻本侑生(編)、実生社、2022年3月)

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 焼畑はかつて熱帯林破壊の元凶とされたことがある。たしかに一時的な利益を求める焼畑は熱帯林の脅威だった。商品作物栽培のため大規模に森林が焼き払われた。一方で、古くから続けられている焼畑は、合理的で持続的なシステムであることも知られている。森林を繰り返し利用するため、作物栽培には制限が加えられ、さらに作物栽培後は森林再生を促すためのさまざまな工夫が凝らされている。その土地で暮らしてきた人々の知識と経験が集約されているのだ。
 このことを知る地域研究者が、日本で焼畑を実践し、各地の焼畑を行ってきた人とともに一冊の本にまとめた。それが『焼畑が地域を豊かにする』。タイトルに関係者の思いが込められている。研究者が焼畑を実践すること自体が意義深いが、社会連携賞授賞にあたって、とくに以下の二点を指摘しておきたい。
 まず、焼畑の実践が日本の地域社会に与える影響という点。日本では、焼畑は取り残された遅れた農業だと考えられている。しかし本書で示されているのは、むしろ焼畑の未来可能性である。焼畑の産物は、美味しくて栄養価が高く、ブランド品として注目されるようになっている。地域活性化に果たす役割は大きい。また先に述べたように焼畑には、森と山に関する知識・技術が集積されている。戦後、日本の焼畑地域の多くが優れた林業地になったのは、この「森林」についての在来知が活かされたからだ。さらになによりも農薬や化学肥料をほとんど使わない焼畑は、近代農業のあり方を再考するきっかけにもなる。
 二点目は、日本社会だけではなく、先進国と途上国という枠を超えて、今後の農業や自然資源利用に一石を投ずる可能性があるということ。これは本書に関わる地域研究者の多くが、東南アジアやアフリカの農村での研究経験・実績が豊富なことから期待したいことである。焼畑がそれぞれの地域のすぐれた「教科書」であり、そこから学べることは多いということを本書は実践を通して「楽しく」教えてくれる。その楽しさのなかに、地域研究が、それぞれの地域社会に寄り添いながら、時には地域の違いを超えた共通の課題を共に考える学問として発展することも予感させられたことも付け加えたい。


2022年 11月 19日

地域研究コンソーシアム賞審査委員会




受賞者紹介

五十嵐 隆幸 (いがらし たかゆき)

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防衛大学校防衛学教育学群准教授。専門は、東アジア国際政治史、中国・台湾地域研究。防衛省・自衛隊での勤務を経て、2020年に防衛大学校総合安全保障研究科後期課程修了、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構より博士(安全保障学)を取得。近年は、現状の米中台関係を国際政治史の視点で読み解くことに軸足を置き、各々の国の対外行動を分析するための基礎として、国内の政治的・経済的帰結を政治体制論から捉えた研究を進めている。世の中がWithコロナへと移行しつつあるので、今後は台湾の政府が中国大陸沿岸部に保持している金門や馬祖などの島々におけるフィールドワークや、1970年代に撤退した在台米軍に関する現地調査に取り組む予定である。



梅屋 潔(うめや きよし)

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神戸大学大学院国際文化学研究科教授。専攻は人類学・民俗学、アフリカ民族誌。博士。慶應義塾大学文学部卒、大学院社会学研究科修士課程修了。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、国際協力事業団専門家、東北学院大学教養学部准教授を経て現職。ケープタウン大学人文学部客員教授(2019-2020)。
ウガンダを中心に東・中央・南部アフリカ、日本各地でフィールドワークを行う。主たる研究テーマは、「災因論」と「合理性論争」。震災の民族誌的研究も行っている。最近は「妖術はどこから犯罪か」を探求する共同研究を主宰。著作に『福音を説くウィッチ――ウガンダ・パドラにおける「災因論」の民族誌』風響社、2018年(受賞対象著書の日本語版)、共編に、I . Hazama, K. Umeya and Francis B. Nyamnjoh (eds.) Citizenship in Motion: South African and Japanese Scholars in Conversation. Bamenda: Langaa RPCIG, 2019. T. Enomoto, M. Swai, K. Umeya and Francis B. Nyamnjoh(eds.) Bouncing Back: Critical Reflections on the Resilience Concept in Japan and South Africa. Bamenda: Langaa RPCIG, 2022.

    


岡野 英之 (おかの ひでゆき)

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近畿大学総合社会学部・准教授。大阪大学大学院人間科学研究科・博士後期課程修了。博士(人間科学)。文化人類学の立場から国家や武力紛争について研究する。シエラレオネの武力紛争を研究しているうちに、同地でエボラ出血熱が発生したことから、感染症や公衆衛生の社会科学的研究にも従事するようになる。ここ数年は研究対象地域を東南アジアのタイ、ミャンマーへとシフトさせた。主な著作や論文として『アフリカの内戦と武装勢力―シエラレオネにみる人脈ネットワークの生成と変容』 (昭和堂、2015年)、「人脈を辿って「紛争空間」を渡り歩く――ミャンマー内戦に巻き込まれた人びとの越境的ネットワーク」(栗本英世・村橋勲・伊東未来・中川理 編『かかわりあいの人類学』大阪大学出版会、2022年)がある。

    


程 永超 (てい えいちょう)

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東北大学東北アジア研究センター日本・朝鮮半島研究分野・准教授。博士(歴史学)。中国山東大学外国語学院日本語科卒、同大学院修士課程、名古屋大学大学院文学研究科修了。名古屋大学高等研究院(人文学研究科)YLC特任助教や韓国ソウル大学奎章閣韓国学研究院フェローなどを経て、2020年10月より現職。朝鮮王朝を介した日本と中国の間接的な政治繋がりに着目し、日本・朝鮮・中国の史料を比較検討しながら二国間関係(日本と中国)に常に第三の視点(朝鮮)を導入しつつ、17~19世紀東アジア国際関係史の再構築を目指している。

    


酒井 啓子(さかい けいこ)

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千葉大学法政経学部/大学院社会科学研究院教授、同グローバル関係融合研究センター長。英ダラム大学中東イスラムセンター修士、京都大学アジアアフリカ地域地域研究科博士(地域研究)。専門は中東地域政治(イラク)、国際関係論。アジア経済研究所研究員として、1986-9年に在イラク日本大使館にて専門調査員、1995-7年カイロ・アメリカン大学客員研究員。単著に、イラク現代政治に関する書籍として『イラクとアメリカ』(岩波新書 2002年)、『フセイン・イラク政権の支配構造』(岩波書店 2003年)、『イラク――戦争と占領』(岩波新書 2004年)、『イラクは食べる――革命と日常の風景』(岩波新書 2008年)、中東現代政治概論として『<中東>の考え方』(講談社現代新書 2010年)、『中東から世界が見える イラク戦争から「アラブの春」へ』(岩波ジュニア新書2014年)、『9.11後の世界史』(講談社現代新書 2018年)がある。英文での編著としては、Keiko Sakai and Philip Marfleet (ed.) Iraq After the Invasion: People and Politics in a State of Conflict, (London: Routledge, 2020)がある。

    


鈴木 玲治(すずき れいじ)

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京都先端科学大学バイオ環境学部教授。専門は森林環境学、土壌学、地域研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科で学位取得。博士(地域研究)。株式会社関西総合環境センター調査研究員、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科助教、京都大学生存基盤科学研究ユニット助教などを経て現職。東南アジアや日本での焼畑研究に従事し、自らも滋賀県余呉町で焼畑を実践。日本各地の焼畑地を訪問し、焼畑を活かした里山再生の可能性を探る。

    


受賞者からの一言

◆五十嵐 隆幸氏

 この度は、名誉ある地域研究コンソーシアム賞を賜り、誠に光栄に存じます。コンソーシアム関係者の皆さま、審査に携わっていただいた先生方、本書の執筆にあたりご指導くださった方々、本書の出版に尽力していただいた名古屋大学出版会の皆さま方に深く御礼申し上げます。  本書の受賞が決まった2022年10月、習近平中国共産党中央委員会総書記の3期目続投が決まりました。習近平が「台湾統一」に向けて本格的に動き出すのではないかと耳にすることが増え、にわかに「台湾海峡」の緊張が高まりつつあります。たしかに、中華人民共和国を指導する中国共産党にとって、台湾を併合して「中国統一」を果たすことは歴史的使命とも言われる未完の目標です。しかしながら、かつて台湾の政府も「中国統一」を国家目標として掲げていました。本書は、その台湾側の視座に立ち、今もなお台湾海峡を隔てて分断されている「中国」の問題について、歴史的に再検証した研究の成果です。
 1949年に台湾に移った中華民国政府は、軍事力で中国大陸を奪還する「大陸反攻」の準備を始めました。既存の研究では、台湾の国際環境が狭まりゆくなか、経済発展とともにそのスローガンはいつの間にか消えていった、などと評されていました。しかし、国是とも言える「大陸反攻」が、そうも簡単に消えゆくことがあるのであろうか。疑問を抱いた私は、必ず「大陸反攻」の旗印を下ろす政治判断があったはずだと考え、それを探求してみようと大学院の門を叩きました。至極当たり前のことですが、「大陸反攻」が軍隊に与えられた任務である限り、何らかの政治的判断もなくその任務は解かれないはずであり、自然に消えていくことはありません。本書は、1991年に憲法の適用範囲を「自由地区」、すなわち実効統治している「台湾地区」に限る時まで、「大陸反攻」が軍隊の任務として保持されていたことを明らかにしました。そして、今もなお台湾に存続する中華民国政府は、その憲法上、固有の領土として「大陸地区」を放棄しておらず、ゆえに台湾の中華民国もまた、「中国統一」の主体となるアクターとして見なすことができることを指摘しました。本書は、これまでの国際政治史で説明されてきた「冷戦の残滓」や米中対立の構造や、既存の台湾政治史研究で主流を占める「中華民国台湾化」の概念では説明できない台湾海峡の対立構造、今もなお台湾海峡を隔てて分断が続く「中国」の現状を読み解くための視点を提示しました。
 本書で注目した「大陸反攻」については、修士課程の時から研究に取り組んできました。修士課程では、中華民国政府の公文書を保管・公開する国史館の史料を蒐集・分析し、さらに中華民国国軍の軍史館などを巡り、退役軍人などへの聞き取りを重ねました。その後、博士課程に進むのとほぼ同時に、国史館が蔣介石時代の公文書の概ね全件をWeb上で公開することに踏み切りました。台湾の現地でしか閲覧することができなかった一次史料が、日本にいながらにして自分のパソコン上で閲覧できるようになったのです。また、修士課程の在籍間、国防部史政編譯室が移転のために業務を停止していたため、最も必要とする国軍関連の史料を使用できなかったのですが、ちょうど博士課程へと進む頃に運営が再開されました。同室のアーキビストには、40回で計4千件にも及ぶ開示請求に応じていただきました。さらに博士論文をまとめる追い込みの時期、スタンフォード大学構内のフーバー研究所に保管されていた「蔣経国日記」が公開されました。その頃、国際社会に新型コロナウィルスの足音が響き始めており、日記の公開から僅か1カ月半後、同研究所がアーカイブの一般利用を停止しました。あの時、思い切って渡米を決めなければ、博士論文に盛り込むことはできませんでした。
 本書の基となった博士論文をまとめる時期は、新型コロナウィルス感染症が世界へと拡大していく時期と重なりました。多くの地域研究者がフィールドワークを制限され、研究の取り組み方の再考を迫られる事態となりました。少なからず私も影響を受けたのですが、博士論文を提出してから本書の原稿を書き上げるまでの約1年間は、自らが取り組んできた「地域研究」の方法論を見直す期間となりました。私は身分上、科研費申請するための研究者番号を得ることができず、限られた休暇を利用して自費で現地調査をしています。地域研究の醍醐味の一つともいえるフィールドワークの機会が限られていたのですが、短期間の現地調査を効率的に実施し、効果を最大限にするため事前の文献調査に力点を置いて研究に取り組んできました。まさに本書は、上述の通り、近年急速に進む史料のWeb化の恩恵を受けた研究成果となります。世界的な感染拡大から2年が経ち、今年(2022年)の夏あたりからフィールドワーク再開の話を聞くようになりました。しかしながら、国内統治の引き締めなどが影響して現地調査のリスクが高まり、研究方法の再考が迫られている地域もあります。Afterコロナへの期待は実らず、Withコロナの時代に入ろうとしていますが、この先、何が起きるか誰にもわかりません。まさに今、「地域研究」にもレジリエンス(抗堪性)が必要となっており、各地域別の組織や団体の枠を超え、情報交換や研究活動を発展させること求められる時代が訪れていると言っても過言ではありません。
 地域研究者としてはまだ駆け出しの身ですが、地域研究コンソーシアムの趣旨を体して他地域の研究者との交流を重ね、地域を越えて適用できる普遍性の高い法則を見つけ出し、現実世界に起こる諸課題の解決に寄与できる「地域研究」の発展に貢献していく所存です。ロシアのウクライナ侵攻は止めることができませんでしたが、我々が取り組む「地域研究」の発展が国際社会の平和と安定に結びつくことを願ってやみません。

◆梅屋 潔氏

 この度は、私の拙い研究に研究作品賞をいただけることになり、大変光栄に思います。まずは、直接の関係者として、推薦してくださった方、また、審査に当たられた方々に心よりお礼申し上げます。
 本書は、人類学的な民族誌ですが、ウガンダの現代史、地域からみた世界史についての情報も含んだものです。わずかではありますが、米ソの冷戦構造もところどころ顔を出しています。
 暴政として知られるウガンダのイディ・アミン大統領(Idi Amin Dada Oumee, c.1925-2006)の政権下(1971-1979)では、40万人とも推計される膨大な犠牲者が出ました。本書で取り上げたACK(Arphaxad Charles Kole Oboth-Ofumbi, 1932-1977)も、犠牲者の1人です。彼は、大統領アミンの右腕と目されていましたが、前大統領オボテのもとで重用されていました。弾圧の対象となっていたキリスト教の信者でもあり、アミンの悪事について「知りすぎた男」でもありました。謀殺されるだけの「思い当たる節」は数え切れないほどあったわけです。しかし、ACKの出身地での語りのなかで持ち出されるのは、ティポ(tipo=死霊)、やラム(lam=呪詛、正当呪術)など、西ナイル系の諸民族に共通して流通していながらも、アドラ(Jopadhola)の言説空間のなかでは微妙に異なる意味を持った概念だったのです。
 これらの概念の用法を記述し、テキストとして前半部に示しました。既存の分析資源では、「災因論」「物語論」「アブダクション」など、少しずつ射程の違う分析用語が用いられてきました。それを、「蜘蛛の巣」モデルとして、整理を試みました。粘着力のある横糸に呪縛されている状態を「物語の筋」にとらわれている状態にたとえ、自由に主体的に原因や対処法を解釈している状態を粘性のない縦糸を辿る蜘蛛の姿と対比したわけです。生の資料の登場頻度が、前半と後半と異なっていますので、本書は、形式的なバランスが整っていない、不格好なものになってしまっています。その欠陥を認識していてもなお、一冊のなかで論じたかったのは、歴史的な出来事と、個人の経験とが一貫して繋がっていることを示したかったからです。また、史料の再解釈可能性を意識してテキストから分析へと、段階的に資料解釈の抽象度を上げ、必要に応じて元資料にさかのぼることができるように仕掛けをつくったつもりです。「選考理由」を拝読して、このことについて審査にあたった方々に注目していただき、また評価していただいたことがわかって本当にうれしく思っています。
 彼らが語るACKの死因=「災因」は、過去にこの地域で起こった出来事の数々と結びついていました。ひとつひとつの現地での違和感の集積が、秩序の侵犯ととらえ直され、人々をオカルトの解釈に誘ったのです。土地問題については、まさに「近代性」(貨幣による土地の売買)によってオカルト的な敵対関係が先鋭化したものであるともいえそうです。この問題は、現在でもあちこちで起こっている深刻な社会問題です。「近代」の論理で私有財産を守ろうと地所を取り囲んだ「有刺鉄線」は、シンボリックにも現実的にも「境界」として機能したことでしょう。外部とのコミュニケーションを遮断し、特殊な存在としてその内部の表象を思い描くことを社会に強いた、あるいは可能にもしたといえそうです。そうした背景に沿ってみれば、ACKの一族が熱心に行っていた、その地域でなじみの少なかったミサも魔女たちの集会である「カヴン」に、賛美歌もウィッチの「呪文」と解釈されたのも故ないことではないでしょう。既存の認識モデルで見るならば、キリスト教は新しいタイプのウィッチクラフトであり、ACKはそれを用いるウィッチであると認識されたわけです(本書のタイトルはここから来ています)。
 ある観点からは、ACKは「近代」に過剰適応しているようにもみえます。「近代」に巻き込まれ、呪縛され、翻弄され操られた犠牲者だとすらいえそうです。現地ではいまだにACKを呪詛する認識が大勢を占めています。歴史を地域の文脈から丁寧に解きほぐして解釈しなおし、見つめなおすこと、そして利害も立場も異にする者同士が真摯に対話することの重要性、月並みかもしれませんが、それは本書が提出できるかもしれない、重要な論点のひとつだろうと思っています。総じて、「近代」というものをどのように規定し、また、私たちがどのように受容していくのか、またしないのか、それが依然として、私たちが共通して取り組まなければならない大きな問題なのだろうと感じます。
 いたずらに頁を割きながら、まだまだわからないことばかりです。残された膨大な課題は本書にも明記していますが、今後ますます勉強していかなければ、と、本書刊行を機に決意を新たにしたところでした。「双子」の課題はいまだ手付かずですが、ヒューマン・サクリファイスの問題から派生して、現在は、「ウィッチクラフトがどこまでいったら犯罪とみなされるのか」について正統的呪術である呪詛と、近代法との関係から考察を試みています。本書で扱ったジェームズ・オチョラのように、条件は同じコロニアル・エリートなのに、「悪」としてみなされないという、近代の両義性も今後追及すべきテーマだと思っています。
 本書と同じタイトルの短い英語論文があります。昨年2月、アドラ人たちのSNSのコミュニティに大学リポジトリで公開されていたこの論文と私の調査のことが紹介され、ちょっとした騒ぎになりました。面識があるACKの遺族からのメールもありました。「ゆきとどいたいい調査報告でした。事実、私たちは呪われています。私は、あなたが書いていないことも詳しく知っています。」というものでした。現地の方々が英語で読めるようになったことで、対話の回路がまたひとつ大きく開きました。こうして、本書の「その後」は、すでに予感されています。ひとつひとつ辿っていくのは、大変楽しみでもありますが、やや恐ろしくもあります。
 本書は、日本語版ともども、成立までの多くを科研費(公開促進費)に負っております。もとになった学位論文の審査に当たった方々、競争的資金の審査に当たった方々にも一方ならぬ恩義を感じています。ありがとうございました。
 ポール・オウォラとマイケル・オロカには、ぜひとも感謝を申し述べなければなりません。本書の事実上の共著者と言っていい彼らとは、今後もますます一緒に仕事をしていきたいと思っています。
 序文を寄せてくれたフランシス・B・ニャムンジョ教授に出会って、私のアフリカ社会の理解は、劇的な変質を遂げました。本書の出版計画のさなかでしたので、全面的に――もっと共感的な形に――書き直したい衝動に駆られました。そうもいきませんでしたので、本書にはまだその痕跡はあらわれてはいませんが、本書出版を後押ししたものはその意識変化だったかもしれません。
 エドワード・K・キルミラ教授は、私が調査を始めたころからずっとメンターとして絶えず貴重な、実際的なアドバイスを下さいました。この本を書く時も大きく後押ししてくれたのはキルミラさんでした。ACKの息子、ゴドフリー・オティティ・オボス=オフンビさんが、絶えず私の研究に理解と協力的な姿勢を示してくれました。殺された父親の話や祖父の殺人の疑いについて根掘り葉掘り聞くわけですから、不愉快なこともあったはずです。彼の鷹揚な態度は、地域に根差した歴史の重要性を、絶えず私に教えてくれました。
 本書を書くときに、私が想定していた読者は、現地のアドラ人のみなさんです。だから、本書は、本来は最初から英語で出されるべきものでした(ゆくゆくは現地語でも出したいと考えています)。日本語版を作成していた時からそうでした。到底不可能に思えた時期もありましたが、その責務を果たしえたことで、ほっとしています。それに加えて、この賞のような栄誉をいただけたことは、予想外で想定外でした。この受賞を機に、この読みにくい本が(日本語版ともども)より多くの方に読まれ、間違いや不十分な記載は正し、新しい対話に繫がるきっかけになることを祈るばかりです。
 ACKの遺族、アミン政権の直接の犠牲者の遺族、アドラの人々、そして、縁あって本書を手に取った方も含め、本書に携わったすべての方に、呪詛ではなく、祝福がもたらされますように。
 この度は、まことにありがとうございました。


◆岡野 英之氏

 この度は「地域研究コンソーシアム賞」登竜賞をいただき、誠にありがとうございました。本書『西アフリカ・エボラ危機2013-2016』の舞台は西アフリカのシエラレオネです。私は博士課程在学中(2008-2013念)から同国に通っていました。シエラレオネがエボラ出血熱の流行に巻き込まれたことから同流行について看過することができず、本書につながる研究、すなわち、感染症に関する社会科学的な研究を始めました。流行中はその経緯を日本から追いました。流行終息後である2016年以降にはフィールドワークも実施し、流行中に何が起きたのかを明らかにしました。本書はそうした研究成果をまとめたものなります。
私事ですが、この受賞は私にとってはギリギリ滑り込みでの応募でした。なぜなら、本賞(登竜門賞)は最終学歴修了後10年以内の者が対象だからです。本書の出版は私が博士号を取得してほぼ9年後でした。振り返ってみれば、博士号を取得してからの9年というのは新たな挑戦の時期だったと思います。
 その挑戦とは、書き手としていかに読者に伝えるかというものです。私は、これまでにも『アフリカの内戦と武装勢力―シエラレオネにみる人脈ネットワークの生成と変容―』(昭和堂、2015年)という、博士論文をもとにした書籍を上梓しています。出版された数カ月後、振り返りのために自分で読んでみたところ、なんと…途中で寝てしまいました。全然、面白くない。ヘコみました。自分がフィールドで経験した知的興奮が全く伝えることができていない。私の経験したものはこんなツマラないものではなかったはずだ。そう思い、落ち込んだわけです。
 多くの地域研究者が辿ったのと同じように、私も博士課程在学中はフィールドワークを実施し現地での経験を積んできました。武力紛争(1991年から2002年まで続いたシエラレオネ内戦)という深刻なトピックを研究テーマに選んだことから、その調査では人々に凄惨な過去を思い起こしてもらい語ってもらうという経験をしなければなりませんでした。人々につらい思いをさせることで、自分の知的好奇心を満たしてきたといって過言ではありません。「記録に残るのであれば話してやろうか」と語ってくれた人も少なくありません。たしかに収集したデータは学術的にも意義のあるものだと思います。しかしながら、それを文章にしたときには、ものすごくツマラない文章になっていた。自分の文章の下手さに辟易としたわけです。それと同時に、調査に協力してくれた人々に対して申し訳ないという気持ちもあふれてきました。
 なんとか文章がうまくなりたい。
 そこから新たな挑戦が始まりました。
 研究者としての使命を全うするような文章を書きつつ、研究上で覚える興奮や楽しさ、つらさも含めて書けないだろうか(それらも含めて「研究手法」なわけです)。そんな試行錯誤が始まりました。
 そうした試行錯誤の際にヒントになったのは読書です。博士課程修了後は、心に余裕が出てきます。興味の幅が増え、読書の幅が増えました。宇宙はどうできたのか、生命はどのように進化したのか、人類はどのような道筋を辿ってきたのか、など専門に囚われず知的好奇心に任せて本を手にとることができるようになりました。ジャーナリズムや小説、自伝などを手に取る機会も増えました。「仕事」としての読書(すなわち、専門書や論文を読みこむこと)からある程度自由になり、楽しみとしての読書の幅が増えたわけです。どのような本であっても、その中には著者たちの伝えようとする努力が結晶化されています。
 自分が文章を書くときには、彼らが用いたテクニックを盗んだりもしています。もちろん、そんなテクニックの中には、文章上の表現方法だけでなく、調査方法や文書全体の構成方法も含みます。博士課程修了後は、研究者であることに縛られながらも、ある程度の自由にモノを書けるようになる時期だともいえます(特にテニュアの仕事が決まってからはそうでした)。許されるときには、新しい手法を挑戦してみたり、これまで使ったことのない文章表現を試したりしました。そうした文章の中には、論文にふさわしくない、あるいは、研究者としての自覚に欠けるとお叱りの言葉を受けたものもありました。本書は、こうした試行錯誤を踏まえてしたためたものになります。
 単著を執筆することは、個人のプロジェクトであり、すべての責任は筆者自身に帰すことになります。本書では、思う存分、書きたいように書きました。その際に心がけたのは、研究者として研究対象(ここでは「エボラ危機」)を冷静な目で分析しつつも、それでもなお、フィールドで見聞きしたことを、喜びや悲しみといった調査者の感情も踏まえて読者に伝えることです。その試行錯誤を振り返ってみれば、地域研究コンソーシアム(JCAS)の設立理念を知らず知らずになぞっていたのかもしれません。すなわち、「国家や地域を横断し、人文・社会科学系および自然科学系の諸学問を統合する新たな知の営み」におのずと手をかけていたのです。エボラ出血熱という研究テーマ上、医学論文も数多く目を通しました(多くはチンプンカンプンなので、読んだというよりは「目を通した」だけです)。さらには国際社会からシエラレオネの現地まで、様々なレベルでエボラ危機を描き出すことを試みました。その記述には国際政治学、政治学、文化人類学の知見が反映されています。さらには、自分が経験してきた「面白い」「すごい」「知るって楽しい」「つらい」を伝えるために小説やジャーナリズムのテクニックも用いています。本書は、そうした私個人が実行した「新たな知の試み」の成果といえます。もちろん、そうした試みが成功しているとは限りませんし、いまでも自分の文章はまだまだ未熟だと思っています。
 登竜門賞をいただいたことで、改めて感じるのは、この個人の試みが一定の評価を得たという嬉しさと同時に、地域研究に携わる研究者としての責務です。博士課程を終えてそろそろ十年、人に批判されるという機会がますます減りました。何気ない一言が権力や暴力につながるような立場になりつつもあります。年齢を重ねるにつれて、やはり必要だと感じるのは、他者からの建設的批判やアドバイスです。本心から申し上げたいのは、あらゆる世代、そして、見知らぬ人々からも様々な批判をいただきたいということです(とりわけ、後輩からの指摘はかなりヒビキますので、言いにくいとは思いますが、いろいろ指摘をしてください)。今後も、皆さまのお力添えを頂きながら、研究を進めたいと思います。このたびは本当にありがとうございました。


◆程 永超氏

 このたび、拙著が地域研究コンソーシアム賞(登竜賞)をいただきましたこと、たいへん光栄に存じます。日本史専攻出身の私はこの賞をいただき、嬉しく感じると同時に、非常に恐縮しております。審査を担当して頂いた先生方、関係者の皆さまに心より深く感謝いたします。
 博士課程に入学した当時、江戸時代の対外関係について研究したいと思い、江戸時代に来日した外国人の日記を素材に、彼らの日本認識や日本観などについて博士論文を書こうと考えていました。当然ながら、通信使も研究対象の一つです。ただし、朝鮮通信使は近世日朝関係史の本筋であり、それに関する研究成果が山ほど多いです。そこで、博論指導教官の池内敏先生が中国人の立場を生かして、燕行使(朝鮮王朝から明清中国に派遣した外交使節)をも視野に入れるように誘導してくださいました。入学してから4年半をかけて、生まれたのは博論です。博論の執筆やそのための資料収集・フィールドワーク自体は非常に楽しかったですが、外交使節に注目したばかりで、博論としてはやはり未熟すぎて足りない点が多いです。
 博論を提出してから、読む気が全くないので、韓国に逃げて、1年間純粋に史料に接していました。しばらく博論で主に扱っていた通信使のことをほったらかしにして、漫然と目的なく毎日資料館に通いました。この一年間純粋に史料の楽しさを感じた時期があってこそ、対馬宗家文書(特に韓国国史編纂委員会所蔵分)の貴重さと価値を深く知ることができました。成果主義に追われている世の中、このような純粋に研究と史料を楽しむ機会を提供してくださった名古屋大学のYLC(Young Leaders Cultivation)プログラムとJSTの科学技術人材育成のコンソーシアムの構築事業に深く感謝いたします。この1年間の留学のおかげで、拙著に新しい3章を設けることができ、通信使の一部立てから、「通信使と明清中国」「対馬藩と朝鮮・中国」の二部立てに変わりました。留学当初ほぼ何も計画していなかったですが、思いかけず追加フィールドワークや博論のブラッシュアップができました。その後、東北大学東北アジア研究センターに採用されてからの一年目に単著の執筆に集中でき、ある程度で博論の恥をそそぎ、拙著に生まれ変わりました。この何も考えずに史料をひとすら読み、博論を書き直すという人生において一番楽しい時期の結晶が、この賞としてご評価いただいたことはとても感慨深いです。
 拙著は名古屋大学学術図書出版助成からご支援いただき刊行させていただきました。また、本書の出版にあたって、清文堂出版の前田正道さんに深く感謝したいと思います。会ったこともない外国人の博論の出版を引き受けて、また細かく校正してくださり、本当にありがとうございます。この場をお借りして拙著の執筆を支えてくださった方々に心から御礼を申し上げます。
 私が常に思うのは日本史研究者であっても日本以外にも注目すべきことです。それは、私が対外関係を研究しているからだけではなく、率直な理由としては、日本史の関連史料が日本だけではなく、アジア各国や欧米諸国などにも所蔵があることが挙げられます。歴史学者としては、研究の根本である史料に注目すべきです。強いて言えば、この日本史・東洋史の枠組みをどのように乗り越えているかは次世代の私たちの課題でしょう。そのため、地域研究コンソシーアム賞(登竜賞)を頂いたことはとても励みになります。
 通信使にしても、対馬宗家文書にしても、また前近代の東アジア国際関係にしても、まだまだ残されている課題が非常に多いと思っております。拙著はあくまでも一つの通過点ですので、これからさらに精進していく所存でございます。



◆酒井 啓子氏

 このたびは、私どもが2020年度に岩波書店より刊行いたしました「グローバル関係学」シリーズ7巻本(第1巻「グローバル関係学とはなにか」、第2巻「「境界」に現れる危機」、第3巻「多元化する地域統合」、第4巻「紛争が変える国家」、第5巻「「みえない関係性」をみせる」、第6巻「移民現象の新展開」、第7巻「ローカルと世界を結ぶ」)を、地域研究コンソーシアム研究企画賞にご選出いただきまして、ありがとうございました。中東地域を扱う地域研究者としてこのうえない栄誉であり、五年間にわたる共同研究の成果をお認めいただいたことの証左として、大きな励ましとなりました。審査に携わって下さった先生方、コンソーシアム事務局の先生方には、多大なご尽力をいただいたこと、厚く御礼申し上げます。
 本シリーズは、2016年より5年間にわたり実施されました、文部科学省新学術領域研究事業「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて:関係性中心の融合型人文社会科学の確立」、通称「グローバル関係学」の成果として出版されました。本事業は、グローバルな危機を読み解き対処するために、従来の主体中心の視座ではなく、関係性に光を当てた関係性中心の視座を導入すべき、との発想のもとに、分野横断的な研究事業として実施されたものです。5つの「計画研究」と呼ばれるチームには、総勢40人近くの研究代表者、分担者が頻繁に研究会やワークショップを開催し、多くの国内外の研究者を招いて、海外の地域研究者、国際関係論研究者とのネットワークを確立しました。海外の国際学会に積極的に参加するばかりでなく、海外、特にアジア(シンガポール、インドネシア)あるいは紛争経験地域(セルビア)を開催地として現地(およびその周辺地域の)研究者と日本からの研究者を招いて国際会議を開催したのは、本事業が目指した、グローバルな危機を見るうえでの西欧中心的視座を超克することの反映でもありました。その意味では、5年間にわたり数百人もの国内外の研究者がかかわり、「グローバル関係学」の発想に触れることができた、波及効果の大きな研究事業であったと自負しております。
 なによりも本「グローバル関係学」の特徴は、日本型の地域研究こそが、欧米の知の枠組みを出発点とする現在の人文社会科学の再考、再編に大きな意味を持つ、とした点にあります。本事業の出発点には、9・11事件やアフガニスタン戦争、イラク戦争、「アラブの春」とシリア内戦、その後に続く多数の難民の発生といった、グローバルな危機が多発しているという21世紀的現状があります。しかし、既存の国際関係論や地域研究は、こうした新しい危機を分析、対応するのに十分とは言えませんでした。それを反省して、こうした新しいグローバルな危機を分析するために従来の学問とは異なる視座を導入する必要がある、と考えたのが、本「グローバル関係学」です。
 既存の人文社会科学が現実に対応できなかったことのひとつの問題は、それが欧米の知の枠組みを基盤としていることにあります。つまり既存の人文社会科学が非欧米世界を研究対象の客体としてしか見ていないこと、西欧起源の国家主体中心的視座から自由でないがゆえに非国家主体の存在を軽視していること、さらには主体中心の分析枠組みに拘泥するがゆえに、「主語のない」関係性によって織りなされる動態・潮流を把握する視座を持ちえないこと、に原因があったといえましょう。これに対して、主として非欧米世界の「地域」に根差した「知」を軸に発展してきた日本の地域研究は、こうした「欧米の知の超克」に大きな貢献をなしてきました。その意味で、日本に特徴的な地域研究に根差した「グローバル関係学」が、地域研究の権威ある賞たる「地域研究コンソーシアム」研究企画賞をいただいたことは、「グローバル関係学」のそうしたアプローチを評価していただいてのことであり、このうえない栄誉として喜びに堪えません。
 とはいえ、研究期間の最後の年がコロナ禍で十分な研究を遂行できなかったこともあり、まだまだ研究は途上にあります。より一層の理論的精緻化や海外への発信は、今後の大きな課題として残っております。今次賞をいただいたことは、これからの努力を後押しする意味と受け止め、今後もますます研究を推進していく所存です。今後とも、皆様の暖かいご指導と厳しいご鞭撻を頂けますよう、心よりお願いいたしまして、受賞の言葉とかえさせていただきます。本当に、ありがとうございました。


◆鈴木 玲治氏

 このたびは、地域研究コンソーシアム賞・社会連携賞という名誉ある賞を賜り、誠に光栄に存じます。地域研究コンソーシアム事務局の皆様、本賞の審査委員の皆様に厚く御礼申し上げます。
 本書は、編者らが所属する市民グループ「火野山ひろば」(代表:黒田末壽)が、日本の中山間地域における焼畑復活を目指して2007年から展開してきた実践型の研究活動の集大成です。京都大学東南アジア地域研究研究所のプロジェクト「在地と都市がつくる循環型社会再生のための実践型地域研究」(2008~2012年 代表:安藤和雄)への参加を契機に本格化したこの活動は、焼畑による日本の食・森・地域の再生を目標に掲げながら、プロジェクト終了後も滋賀県余呉町を拠点に深められ、日本各地で焼畑に携わる多様な実践者と連携した地域横断的な活動へと発展してきました。
 現代の日本で焼畑が営まれていること自体が驚きかも知れませんが、近年は焼畑の意義が様々な角度から見直され、ここ十数年で焼畑復活の狼煙が全国各地で上がっているのです。これらの地域では、焼畑作物の地域ブランド化、焼畑を核にした森の再生、焼畑の観光資源化と地域振興などの目標が掲げられ、地元有志、NPO、行政、大学関係者など多様な人々が連携しながら焼畑に取り組んでいます。
 しかしながら、諸般の事情により復活後数年で焼畑を止めてしまった地域もあります。焼畑復活が一過性のブームで終わらず、大きな潮流となっていくには何が必要なのか、色々と思索を巡らせながら思いついたのが、焼畑実践者の全国集会である「焼畑フォーラム」です。2017年以降、火野山ひろば主催で3回のフォーラムを開催し、計10の地域が参加しました。そして、互いの地域の焼畑の特長や課題を共有し、焼畑の未来展望を語り合いながら焼畑実践者間の親交を深めてきました。フォーラムを通じて形成された人的ネットワークと精神的な絆は、何ものにも代えがたい財産になっています。
 また、本書では、研究者自らが地域社会に飛び込んで焼畑の担い手となり、実践者の視点から日本の焼畑に伝わる伝統的な技術や知恵を掘り起こし、科学的データを用いた仮説検証も行いながら在来知の持つ意味を論じています。余呉町ではかつての焼畑を経験してきた方がまだご健在であり、多くの活きた知識を教わりました。焼畑経験者と共に焼畑の現場に入らなければ分からなかった技術や知恵も少なくなく、現場での手痛い失敗や想定外の出来事に遭遇して、初めて浮かび上がってきた在来知も多々あります。
 以上のように、本書は火野山ひろばの拠点である余呉、そして、現在焼畑に取り組む他地域との連携なくして生まれることはありませんでした。こうした点が評価されて本書が社会連携賞に選出されたのであれば、これまでの地道な取り組みを振り返ると、たいへん大きな励みとなります。今回の受賞を受けて、我々の焼畑実践活動を支えてくださった余呉町の方々をはじめ、本活動にご支援、ご協力をいただいた全国各地の関係者の皆様に心より御礼申し上げます。今後も焼畑の現代意義を展望しながら、日本の食・森・地域の再生に向けて社会に発信し続けたいと考えています。