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JCAS賞2019審査結果

 第9回(2019年度)地域研究コンソーシアム賞(JCAS賞)の授賞対象作品ならびに授賞対象活動について下記の通り、審議結果を発表します。

 地域研究コンソーシアム賞の研究作品賞は、地域や国境、そして学問領域などの既存の枠を越える研究成果を対象とするもので、作品の完成度を評価基準としています。登竜賞も研究作品賞と同様の趣旨ですが、研究経歴の比較的短い方を対象としていますので、作品の完成度に加えて斬新な指向性や豊かなアイディアを重視して評価しました。社会連携賞は、狭義の学術研究の枠を越えた社会との連携活動実績を対象としています。
 審査については、運営委員会が担う一次審査によって審査対象作品および活動を絞り込み、専門委員から、一次審査で絞り込んだ作品あるいは活動に対する評価を書面で回答していただきました。今年度の専門委員は、研究作品賞については五月女律子氏、染田秀藤氏、床呂郁哉氏、登竜賞については石川登氏、湖中真哉氏、桃木至朗氏、そして社会連携賞については家田修氏、立岩礼子氏、宮原曉氏にお願いしました。そして、一次審査の結果および専門委員の評価を踏まえて、地域研究コンソーシアム賞審査委員会(理事会)において最終審査をしました。この場を借りて、審査に関わってくださったみなさま、とりわけ専門委員諸氏に感謝申し上げます。
 今回の募集に対して、研究作品賞候補作品12件、登竜賞候補作品20件、社会連携賞候補活動2件の推薦があり、一次審査によって絞り込まれ専門委員による評価の対象となった作品および活動は、研究作品賞3件、登竜賞3件、社会連携賞2件でした。社会連携賞については、最終的に該当する活動がないという判断に至りました。それぞれ意義ある活動の推薦がありましたが、社会連携の内容が十分に明確ではない、時期尚早である、等という判断により該当なしとなりました。また、審議の結果、研究作品賞には登竜賞に推薦された作品が受賞作として選ばれました。審査のいずれの段階においても文句なしに高い評価を得た点で、抜きんでていたということからこのような決定となりました。
 多くのすぐれた作品・活動の推挙を感謝申し上げますとともに、受賞された皆様には、委員会を代表して心からのお祝いを申し上げます。


【研究作品賞】

Hideaki Suzuki. Slave Trade Profiteers in the Western Indian Ocean: Suppression and Resistance in the Nineteenth Century. (Palgrave Macmillan, Oct. 2017.)


(※登竜賞部門に推薦された作品ですが、研究作品賞にふさわしいため研究作品賞を授賞することになりました。)

 本書は、19世紀インド洋西海域における奴隷交易者の実態を解明し、奴隷交易とその廃絶活動との相克がインド洋西海域世界に与えた影響を論じた歴史学的研究である。実態解明が遅れてきたこの海域の奴隷交易について、イギリス、フランス、アメリカ、インド、ザンジバルなどの文書館や図書館で蒐集した断片的で膨大な史料を駆使し、その動態を詳細かつ多面的に描き出した力作である。
 この海域において奴隷交易とその他の交易とは不可分であったことから、奴隷交易廃絶活動は、インド洋西海域世界という歴史世界そのものの存続を大きく左右する活動であった。その観点から、本書では特にイギリスが奴隷貿易を禁じた19世紀半ば以降、同海域において奴隷貿易がどのような影響を受けたかについて、インド、アラブ、イギリス、フランス、アメリカなどの商人や奴隷など様々なアクターのインタラクションを学際的手法により地域の社会史を映し出しながらミクロに分析している。そのうえでグローバルな変動に対応するインド洋西海域世界の持続・変容というマクロな現象を捉え、特定地域の実証研究をグローバル・ヒストリーが射程とする視座まで引き上げている。
 従来の研究では、世界経済や植民地化の拡がりによるインド洋海域世界の崩壊が主張されてきたのに対して、著者は、むしろ変容を伴いながらも継続してきたという観点から、廃絶活動への奴隷交易者の対処を具体的に分析し、新たな環境を「飼い慣らす」彼らの主体性を描出し、それがインド洋西海域世界の商業ネットワークをより活性化させる一方、この海域世界に現地の、そして植民地支配の政治権力の積極的な介入を招じ入れていたその相互的なダイナミズムの実態を明らかにしている。大西洋奴隷貿易とは違ったアクターと商品の多様性を特徴とする在来ネットワークが、イギリスによる奴隷貿易禁止政策など英仏米勢力が創り出す新しい条件の下でこそ展開のピークを迎えたという主張は、植民地支配や帝国主義を見直す多くの論点につながる。
 インド洋西海域に限らず、これまでの海域史研究は、世界経済が伸長し植民地化が進展していく18 世紀半ば以降、すなわち近代には立ち入らない傾向にあった。近代の世界的な動きにより海域世界が崩壊したと断定し、考察対象として近代以降の海域世界を放棄してきたのである。しかしそれは西洋世界を中心とした歴史観であり、本書は、19 世紀における奴隷交易者とその廃絶活動の相克に関する具体的な事例研究をもとに、インド洋西海域世界の持続と変容のダイナミクスを描き、海域史研究における諸前提や認識論上の問題を再考し、西洋中心史観に切り込んでいる。
 ミクロな分析をもとにグローバルな変動に対応するインド洋西海域世界の持続・変容というマクロな現象の解明に成功している本作品は、地域史・海域史研究の新たな可能性を示す国際的かつ先端的な歴史研究となっており、またこれを若い日本人研究者が英語で発信したことを高く評価する。地域研究の進むべき一つの方向性を示した取組としてきわめて有意義であり、地域研究コンソーシアム研究作品賞に値する。


【登竜賞】
中山大将『サハリン残留日本人と戦後日本―樺太住民の境界地域史』(国際書院、2019年2月)

 本書は、サハリン残留日本人の「通史」を描いた境界地域史として秀逸な力作である。新しい地域研究の方法論として提起された「境界研究」の枠組を援用し、大日本帝国期の「日本」から移住し第二次世界大戦後のサハリン=樺太に「残留」し、またはそこから色々な時期に「帰国」した人々について文献調査とインタビューを組み合わせて研究したもので、大日本帝国の歴史と記憶、国籍と民族、ジェンダーなどについて、多くの興味深い事実を明らかにした好著である。
 本書は、堅実な歴史研究であると同時に、一国研究や閉じた地域研究に回収されない「境界地域」という概念を援用し、境界変動によって生まれた残留集団を分析する。そのために歴史学内部の議論や理論だけではなく、移民研究、多文化主義研究、境界研究といった地域研究関連諸分野の理論や研究蓄積を広く参照し、その統合的発展を学際的に目指している。それにより著者は、日本植民地研究という研究枠組自体に批判的検討を加えて地域横断的、時間縦断的な「境界地域史」という分野・領域を超えた学術的アプローチを提案する。従来、マスコミでも研究でも「戦争」、とりわけ第二次世界大戦と強く結び付けて理解されて来た「残留」現象を、「境界変動」に伴う現象として位置づけ、近現代におけるその普遍性を提起している。
 本書において著者は、従来は個別の文脈で研究・報道がなされて来た、サハリン残留日本人、サハリン残留朝鮮人、日本人樺太引揚者という三つの集団について、ひとつの集団を突出させることなく、各集団について10年近くにわたり日韓ロ各国で地道な聞き取り調査や資料調査を行なうことで、着実な比較研究を実現している。そのために、日本語圏はもちろんのこと、ロシア語圏、韓国語圏、英語圏、中国語圏の先行研究や文書館資料など膨大な資料を渉猟している。多言語史料と学際的先行研究を広範に活用し、埋もれた境界史を精緻かつ多面的に照射し得ている。随所に地域住民目線に立った興味深い発見が溢れており、学際的示唆を与え得る資料的貢献が成され、後世に継承される資料的価値も有している。個々の資料の分析も、地域の脈絡を繊細に踏まえて良く練られている。
 内外の批判を気にするあまり、学問分野、対象集団、対象時期、そして対象地域を限定し、関連研究コミュニティの中で完結してしまいがちな若手地域研究者の陥穽を乗り越えて理論・実証両面から果敢な挑戦をしている。以上の点から本書は、地域研究の見本になる著作であり、地域研究コンソーシアム登竜賞に値すると評価できる。
最終審査に至る過程で、コミュニティやネットワークを欠く残留者に関するケース・スタディが、著者の提起する境界地域概念と十全に接合し、分析されているか疑問が残ること、また、やや論点が拡散してしまった感があることも指摘されたが、境界変動という理論的大枠は構成において一貫しており、賞に値するという評価は揺るがなかった。

2019年 9月 27日
地域研究コンソーシアム賞審査委員会




受賞者紹介

鈴木 英明 (すずき ひであき)

国立民族学博物館グローバル現象研究部助教。博士(文学)。学習院大学文学部史学科卒、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程、東京大学大学院人文社会系研究科修了。日本学術振興会海外特別研究員などを経て、2014年長崎大学多文化社会学部准教授、2018年8月より現職。インド洋西海域世界を足がかりに、既存の歴史学の枠組みではこぼれ落ちてしまってきた事物、現象を拾い上げ、地球規模の歴史像の構築を目指している。


中山 大将(なかやま たいしょう)

釧路公立大学経済学部専任講師、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究共同研究員、国際日本文化研究センター共同研究員、京都大学博士(農学)。2010年3月に京都大学大学院農学研究科博士課程修了、その後、京都大学大学院文学研究科GCOE研究員、日本学術振興会特別研究員PD(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター所属)、京都大学地域研究統合情報センター(現・東南アジア地域研究研究所)助教を経て現職。

    


受賞者からの一言

◆鈴木英明氏

 今回、第9回地域研究コンソーシアム賞研究作品賞という大変大きな賞を思いがけず頂戴しましたこと、この上なく光栄に存じますとともに、非常に身の引き締まる思いでおります。選考にあたられた先生方、地域研究コンソーシアムにかかわっていらっしゃる皆様に厚く感謝いたします。また、対象作が世に出るまでにお世話になった皆様にも深くお礼を申し上げます。
 私自身の専門は歴史学で、本書の基となった博士論文も歴史学の論文として東京大学に提出されたものですが、その過程では、日本アフリカ学会の年次大会での一連の報告が大きな意味を持ちました。歴史学とは異なる多様な立場から報告に耳を傾けて頂き、質疑応答やそのあと会場で声をかけて頂いたり、研究会に呼んで頂くなどの機会を得るなかで、本書の礎が築かれていったのだと自負しております。その意味においても、地域研究コンソーシアムから賞を頂けたというのは、私にとってとても大きな意味を持ちます。
 さて、今回、賞を頂戴した本書は、奴隷交易者のあり方の変容を追うなかで、19世紀のインド洋西海域世界の変容を論じたものです。最大の問題意識は、インド洋西海域世界が世界経済の包摂や植民地支配の進展によって本当に崩壊したのかというものでした。そうした「崩壊説」と呼びうる見方が2000年代に入るまでは支配的で、実は、19世紀以降をインド洋西海域世界という文脈で描いた文献は、この研究を始めた当初はもちろんですが、現在でもそう多くありません。新たな支配原理や経済秩序が入り込むことで、そこにあった既存の一体性が崩壊するというのは、一見、容易に首肯できそうです。しかし、その「既存の一体性」が何に基づくのかを踏まえなければ、そのような論理展開は十分な説得力を持たないはずです。インド洋西海域世界の一体性とは、政治的、あるいは経済的な原理や秩序とは距離を置いた生活実践のレヴェルにかかわる緩やかな共通性や類似性でありました。そうした共通性や類似性を育む物質や情報が海を跨いで交換されることで一体性が醸成されていったのであり、それゆえに、海を跨いだ交易は持続性を持ちえたのです。そうであるならば、世界経済の伸長や植民地支配の進展をそうした一体性の崩壊と単純に結びつけることはできません。翻って、双方を容易に結びつけてきた従来の崩壊説というのは、崩壊という断絶のなかに前近代/近代、非西洋/西洋といった二項対立を意識的、無意識的に組み込んでいるのではないかと考えます。つまり、崩壊説を乗り越えようとする試みは、そうした私たちの歴史認識、さらには広く地域研究全般やさらには人文社会学に根強く存在する二項対立的思考法へ挑むことにもつながるのです。もちろん、崩壊説を乗り越えるというのは、崩壊しなかったと主張することではありません。そうではなく、奴隷交易者に着目し、その変容の過程を追うことに本書は注力しました。
 こうした発想は、インド洋西海域の各地を訪れる機会を得て、実際に見聞し、人々の生活の息遣いを体感し、その感覚をもって史料と向き合う、そして、史料から語られることを現地の息遣いのなかに置いてみる、その繰り返しのなかで育まれていきました。その過程のなかでは、不十分ながらも様々な言語を用いるのですが、そこで自分は何語で思考していたのかと改めて考えると、やはり、それは日本語であることに気付きます。本書は英語で刊行されましたが、日本語での思考が下敷きになっています。英語化に際しては、そのことをよく意識したつもりです。安易に英語化してしまうことで、日本語での思考の痕跡がなくならないように注意しました。
 私にはこれから取り組みたい、また、いま取り組んでいる幾つかの研究がございます。今回、このような栄誉に浴することができたのを励みに、より多くの方に読んで頂けるような研究を目指し、一生懸命に頑張っていこうと思っております。


◆中山大将氏

 このたびはたいへん光栄な賞をいただきありがとうございます。拙著刊行のためにご尽力いただいた京都大学東南アジア地域研究研究所のみなさま、研究・調査に協力してくださった北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、サハリン樺太史研究会、各共同研究、そして当事者やその支援者・関係者のみなさま、また若手奨励策として本賞を創設し運営してきてくださったみなさまに、心より御礼を申し上げます。
 今回受賞の2冊目の拙著だけではなく、1冊目の拙著も京都大学の若手出版助成からご支援いただき刊行させていただきましたし、京都大学若手研究者ステップアップ研究費は研究員時代と助教時代の計2年度ご支援いただき、研究員時代には京都エラスムス計画により中国へ計3ヶ月も派遣させていただくなど、私は京都大学の若手研究者支援制度の恩恵を多く受けた者のひとりかと思います。1冊目に続き、2冊目でも若手研究者奨励のための賞をいただき、学界全体の若手支援策の恩恵も大いに受けることとなり、関係者のみなさまには心より感謝するほかございません。
 受賞の報をいただき思ったのは、こうした従前の若手支援策では解決し得ない窮状があることです。そのひとつが拙著の「あとがき」でも書いた若手研究者の受けている「絶望的抑圧」です。私の回りでも、教授層などによる若手研究者に対する差別や抑圧、不正などを見聞きします。報復をおそれて泣き寝入りする場合が多いものの、勇気を出して声をあげ学会や大学などの関係部署に実情を伝えても、往々にしてその案件自体が闇に葬られるのが現状です。
 具体的な事例を挙げると、ある地域研究関連学会の活動において有力役員を務める某教授が外国籍の若手研究者に秘密裏に便宜を与えていたという問題が発覚したことがありました。便宜を与えた某教授の弁明からは、外国籍若手研究者の負担を減らし日本国籍若手研究者にその分の負担を転嫁することは日本人教授として当然である(という弁解が成立する)という認識が読み取れました。
 良心的で進歩的に見えるこの教授の認識と、〈アジア一等民族〉たる〈日本人〉がそれ以外の〈アジア劣等民族〉を保護して指導してやるのは使命であるという日本帝国下の〈大和民族〉の歪んだアジア蔑視とは、その根が同一であると言わざるを得ないことには慄然とします。
 同学会は、この件に関して問題の公表や処分、責任追及をする立場にないと主張しました。しかし、学会誌論文で不正が発覚した際にも同様の対応をする気なのでしょうか。自治の放棄宣言とも言えるこの学会の主張は、抗議した若手のみならず、事情を知る周囲の若手にも絶望を与えるものでした。
 院生レベルでも研究室内で日本出身院生が少数派であるためひとりで複数の留学生院生をサポートしなければならない窮状がある一方で、留学生院生からは、通訳や翻訳に無償で協力するように指導教員などにより要請されることへの不満を聞くこともあります。若い世代にとって、若手研究者同士は国籍や出身を問わず、助け合い競い合う仲間以外の何者でもないと考えるのが一般的だと思います。しかしながら、実情を顧みない不当な扱いは過大な負担と無用な不公平感を若手の中に募らせています。
 繰り返し申しますが、私は若手研究者支援策の厚い恩恵を受けた者のひとりであることは間違いなく、そのことには心より感謝しております。しかしながら、上記のような状況を看過し続ければ、若手研究者全体が疲弊することは間違いありません。教授層などが職能集団としてその学内・学会活動において研究面だけではなく倫理面においても厳しい相互批判を実践すること、若手研究者ひとりひとりを人間として尊重することで少しでも状況が改善するのではないかと思います。
 機会と結果に恵まれた若手のひとりとして、若手研究者の窮状とその解決策について思いを新たにした受賞でした。改めて御礼申し上げます。